日々の泡、満ちる月、還る命

整体生活を通しての身体と思いのつれづれを。

里親になる

 

とにかくどうにかして現状を変えないと私の爆発は収まらないから、そう決めると、母は早かった。

ただし決めたのは私で、行動に移したのは母だということが、私の育ちと性格を大きく表現していると思う。

 

 

その猫は保護猫の多い沖縄から空輸されて私たちの家族となった。

今までわたしと彼の2点重心の生活だったのが3点(正確には2匹なので4点)になり、家の中心が猫になって、わたしの心が急速に満たされてきている。

生活における様々な事柄の意味や目的がどんどん塗り替えられて、保護する対象を持つってこんなに人の価値観や行動を変えるんだと言うことに、自分自身の内的変化やダンナさんの豹変ぶりに驚く(擬似親だけど)。

 

生きる目的をなくし、食べることも拒否し、息も絶え絶えの時に先生のもとに連れて行かれ、「こんなに死にたいのに、まだ身体は生を維持することをやめない」ことに気づかされてから、わたしは生きるとはなんなのか・・・わたしはなんで生きていたのかつまり<何故死ななかったのか>をずっと知りたいと思ってきた。

ずっと、大好きな人か、生涯かけて打ち込めるものさえ見つかればわたしは生きていけると思ってやってきたけれど、それはある意味本当のことではあるけれど、命の本当っていうものはそんなものじゃないんだってことが分かってきた。

 

今ここにあるがまま、生きているままに生きていることを楽しみ、死んでいくように死んで、それが滞らないこと

 

そんなの野口先生が最初から言っているけれど、人の言葉でも思考でもなく自分自身の身体で気付くことが、体得すると言うことなんでしょう。だから先生は何も言わず、わたしを見守るようにして、導いたり、失敗させたり、決断させたりして、決して技術を教えないという立場でいるのでしょう。

 

 

分かっちゃいるけど

 

「この後に及んで『今』かい!」と自分に突っ込む。

 

 

2匹の仔猫を通して学ぶことはとても大きい。

問題は

エネルギーが愛情に昇華されて整体への意欲が減退中です。