日々の泡、満ちる月、還る命

整体生活を通しての身体と思いのつれづれを。

うさぎとかめ

人はわたしを見て亀のようだと思うらしい。

亀、亀、言われると、単純にいくつか思い出すのはイソップの「うさぎとかめ」、「浦島太郎」或いは映画にもなった「海獣の子供」。
わたしは蛙派なので亀と言われることは「のろま」と言われてるみたいでコンプレックスにもなっていたのだけど、今日見つけたブログでちょっといいなと思うことが書いてあったので、忘れないように書いておく。

 

イソップの「うさぎとかめ」
これはそもそもの両者の競争の目的が違っていて、うさぎは、かめに勝てれば良かったけれど、かめはうさぎに勝つことが目的ではなく、ゴールが目的だった。…という話。うさぎとかめ、まさに7種と8種の捻れ型のようで面白い。

 

わたしはここのところ連続して、大切にしていた友人や夢、望みを失う経験をした結果、自責と厭世の気持ちが迷宮入りしていて、この辛さから逃れるには今身を置いている場所から少し距離を置いた方がいいのかと思っていた。

辛さはすっかり希望に覆いかぶさるようにして隠してしまって、理性的に「より良い方法の捻出すること」を出来なくなっていた。

全力で生ききるとはなんて難しいことなんだろう。
思い切り心の底からやりたいことに取り組むこと=全生なのではない。少なくともわたしの身体能力では、主役よりも縁の下の力持ち…というより、熟成過程のお味噌って感じ?
それはさておき、わたしが整体と今の仕事を人生の主軸に選んだのは、知識を得るためではなく、お金のためではなく、身を調え、心を磨き、人や季節やモノから色んな感情を得て味わい、苦しいことから学び、他人を思いやる優しさを育てる。人がそれを行うのを助ける。という人間修行のため。

仕事や生活はその場であり、それ自体が目的ではない。私自身を育て、より人間らしくなるのが人生の目的なのだ。そういうことをゴールにして大切にしていけば、だれがどう言おうと、なんでも自分の糧に出来ると思う。

 そんなことを、忘れないために。

 

以上は今日のひとりごと。