日々の泡、満ちる月、還る命

整体生活を通しての身体と思いのつれづれを。

腎臓

 
 

僕ならば 君の腎臓を食べたい






2月から続く左首筋の硬直が取れず
ふと思い付いて目の温湿布をしてみた。
何度か繰り返し、大きな息が入って弛んだのを確かめて止めると
あくる朝(木曜日)、胸椎上部の過敏と、寒気、そして発熱の予感。

それでも普通に動けたので通勤したのだが、
土曜日になって38.6℃の発熱。

その日は丸一日38℃台。
日曜朝には平温以下になって、左首筋もスッキリ、今日はゆっくり過ごそうと決める。 
明日は出勤できるな、1日の欠勤で良かったな、なんて思いながら。


が、ここからが今回の学びの始まりだった。
怠い。
怠くて堪らない。
杖をついたお婆ちゃんがよくやっているように、1つ動いては溜息をついてひと休み、動いては休み。
本を読もうにも目が痛く、集中力が続かないし、何をする空想も出来ない。

行気をしてみると胸椎10番のあたりでふっと途切れてしまう。

活元運動さえも、嫌な思い出が立ち昇ってきて泣いて、いつの間にか止まっている。

そのたびに少しはスッキリするのだが、どうにも、さて次、という意欲が湧いてこない。


と書きながら、脈を測りそこねていたことに気付いたので、今更ながら測ってみる。
内科医が測ってくれたので、すっかり意識から去っていた。

 


腎臓の数値が悪かったことはない。
ただ長年活元運動をしてきて、何か身体に変動があると腎臓が痛くなるようになってきた。
今回の目の疲れでさえ、目の系統のほかに腎臓に気の集注不足を感じる。
 



食べているのに体重がどんどん減っていく。
急激な性欲と突き抜けるような愉しい感じ、
そして疲れ。。。




今回は、夫の気配りが的を得ていないことに苛立ちとを覚え(それは必ず悲しさと寂しさに起因している)
かなり辛く当たってしまった。
途中、自分の中に子供のような集注要求を感じたが、
次の日のぶり返しは恐らくその子の仕業。
その後の怠さは、廃動萎縮も始まっていたように感じる。


結果、3日連続で仕事を休んでしまった。




 
変わっていく自分の身体に理想を求めずに、
あるがままに経過できるよう、日々整えていくこと。

なかなか難しいのだけど、
これからくる更年期に向けて、
訓練していく必要性を強く感じたのでした。

 


備忘録として、これからも折りに触れて投稿していきたいと思います。