日々の泡、満ちる月、還る命

整体生活を通しての身体と思いのつれづれを。

どどんぱ

 
職場に、150cm足らずながら豊満で、人の中心にいたがる同い年の女性がいるのだが、彼女のジワジワと覆いかぶさられるような制圧感に息が止まってしまうことが頻繁に起きる。

それは大抵彼女のエネルギーが余っている時で、男性と女性に対する態度や、特に複数いる女性達への態度の差別があからさまに変わって、大抵わたしはその被害者になる。

彼女の甘えたい心を刺激するような何かしらの「わたしと一緒にいるメリット」を提示できれば、少しでも風当たりは軽くなるのだけど、彼女のエネルギー不均衡状態の時に弱味でもチラリと見せてしまうと、蔑むような態度と支配欲をここぞとばかりに見せてくるのだ。


普段は愛情溢れる彼女の、不可解で急激な変化は、わたしの心身をがんじがらめにして、文字通り息が止まるのだ。 


踵を付けてしゃがめない。じっとりと纏わりつく綿密な気。動物・植物分け隔てなく命を大切にして、何もかも捨てない。こういう人を10種体癖というのだろうか、、、ぜひとも背骨を観察させてもらいたいお方です。



彼女の言動によってわたしの脈拍は上がり、神経過敏となって息が止まる。

…呼吸の間隙をショックするって、こんなに長い吸いと吐きの間の時間の、どの一瞬を捉えたらいいのだろう…今ならすごい良い稽古ができる気がする、なんて、泣きながらも呼吸を観察したり腎臓や肝臓に手当てしてみたり。
隣で休んでいる旦那さんは寝惚けながらも、泣いてる私を宥めようとしてくれたのか、自分のせいだと思ったのか、「〇〇(わたしの名前)、ごめんね」なんて寝言したり、局所的カオスが発生してしまうのだ。

 
人間のやってることなんてあれもこれも活元運動。
そう思うと、意識的に自分のエネルギーを調整することは必要不可欠で、野口先生がおっしゃるように「活元運動は身嗜み」だと改めて思う。

余波を受けてしまって乱れた時は大好きな行気だって出来なくなってしまうから、出すもの出して、心を込めて手を当てて、嵐が落ち着くのを待つ。これも経過だと思えば、どんな変動でも待てる。

そんな中で、わたしが出来ることは。

ニガテな彼女は、わたしに色んなことを教えてくれる。はぁ。