日々の泡、満ちる月、還る命

整体生活を通しての身体と思いのつれづれを。

感覚の細やかさについて

 
冬になって体が引き締まってくると
普段は感じない感情のざわめきが聞こえるようになる。
そして普段からぼーっとしている私がつい焦るのは、
他の人は普段からこう細やかに濃やかに色んなことを感じながら生活しているんだろうなと。
わたしはなんと大雑把で無意識的な毎日を過ごしているのだということ。


自分の世界に入り込んでいることの幸せは、
他人と交わることで生まれる機微を遠ざけて
感情を鈍麻させていく。

かといって
人間関係を器用にこなしていくことなど出来ず、ただただ散漫な気配りがわたしの濃度を薄くしていく。



活元運動も好きだけれど、行気の方がさらに好きなのは、
散漫になった気を肚に集め、一つに纏めることで「自分」を感じられるようになるから。

わたしは今まであまりにも気体的だったのだと思う。
先生は重いガスのような気体でできた「わたし」の固定観念という意識を取り払い
今わたしは軽くなったのだけれど
さて、透過しすぎて感じないほどの軽さをもって、手から離れてしまった風船のように行方知らずになりそうです。