ジャンプ力
こんな時にあろうことか発熱をしてしまった。
一昨日からやけにはしゃいだり捻くれたりしていたかと思うと、雪の昨朝からは寒気が続き、夜には37.5℃の熱。
頭痛や怠さなど症状はなにもなく、普通に活動できるのだが、わたしにはこれから症状が悪化する身体なのか軽くて済むのか、ちゃんと見極める知恵がない。
多分すぐに経過するだろうな、という勘(楽観的なだけか)の元、行気をしたり活元運動をして自分の身体で試す良い機会。
しかし今のこのご時世、自分の判断の甘さによって周りの人が命に関わるような事態になってしまったら大変なことになる。
整体の知恵を持たない主人はわたしの指標になっていて、一般的な世間の感覚を確認するのに最適なアドバイザーである。
彼の様子を見てわたしは自主蟄居することに決めた。しばしのフリータイム。
とはいえ暇である。
本を読んだりする気にもならないので、可愛い猫の動画なんかを見てキュンキュンしようとしたら、何故かオリエンタルラジオの中田氏のYouTube大学にどハマリしてしまった。
相方藤森氏との出会いからのヒストリー編だったのだが、中田氏と藤森氏の駆け足三段跳びくらいの躍進力を知って、とても羨ましい気持ち。
富本憲吉、小山冨士夫、川喜田半泥子や原三渓、白洲次郎など、時代をリードしてきた陶芸家や実業家で私が尊敬する人々について、折に触れ知る度にその躍進力に感嘆してきた。
頭の良さや人間力はさることながら、行動力を生み出す熱量とスピードが常人とは違う。
なにより、たくさんの人の中でも実力を発揮できてキラキラしている人はとても素敵。
わたしも、わたしなりの腰の弾力を少しでも取り戻して、もう少し勇気を持ちたい。
活元運動をしよう。
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わたしは股関節が少し弛いのか、左脚の鼠径部から股関節に違和感がある時がある。
連動して尾てい骨も痛くなる。
そういう時はやたらと片足立ちをしたくなって、そうすると腰を少し落として沈むことになり、気持ち良い。
何かすると積極的に調整要求で活元運動が出るのには安心感がある。
それにしても昨日のテレビ番組では、タレントがダイエットのために-190℃にもなるナンチャラ装置に裸状態で3分も入って、血流を上げるという内容にはいささか腹立たしい思いがした。
従来はプロのスポーツ選手が代謝を上げて疲労を(疲労感を?)取るために使っている代物らしいのだが、それがその施設では一万円程度で利用できるとのこと。
身体に対する無茶な扱いを楽しむ人もいるものなんだなぁと、あんぐりとしてしまう。
エベレストに自力で登る人にはまだいくらかの尊敬の念も湧くけれど、体重管理のためにとは。
そんな機械にわたしが入ったとしたら、一体どんな活元運動がでることだろう。そうやって身体を危機感にさらすくらいなら、何かもっと有益なことに命を使いたいよなぁ…。
顔がだんだん渋くなっていくわたしを見て、テレビを見てアハアハ笑ってた旦那さまもパッと電源を切りましたとさ。
ありがとう。さもないと、もっと捻れちゃうよ?
頭の穴追い
春の愉気法は頭の穴追い。
本来ならば2・3回行うのが良いのだが、今年の春も一度で終わりそう…その貴重な機会のお相手は整体歴30年以上のベテラン女性。
頭をお借りして。
右側の第二の弛緩から始まり、浮き出てくる硬結を集めていく。すると愉気する親指の先が痛くて痛くて堪らないのだけど、その快痛は病みつきになる。何度か指から硬結を離してしまって、都度深息法から再スタート。
スッキリした!と言ってくださったけど、どれだけの変化が起きるのだろう。
やはり、頻繁に観察できるひと、できれば長期にわたって一緒に取り組んでくれるくらい整体に興味を持っている人に出逢いたい。
出来たことと出来なかったこと。
背骨の観察。
沈み。
お腹でのまとめかた。
何度か行う中での変化。
そういうものを早く見ていけるようになりたい。
どどんぱ
職場に、150cm足らずながら豊満で、人の中心にいたがる同い年の女性がいるのだが、彼女のジワジワと覆いかぶさられるような制圧感に息が止まってしまうことが頻繁に起きる。
それは大抵彼女のエネルギーが余っている時で、男性と女性に対する態度や、特に複数いる女性達への態度の差別があからさまに変わって、大抵わたしはその被害者になる。
彼女の甘えたい心を刺激するような何かしらの「わたしと一緒にいるメリット」を提示できれば、少しでも風当たりは軽くなるのだけど、彼女のエネルギー不均衡状態の時に弱味でもチラリと見せてしまうと、蔑むような態度と支配欲をここぞとばかりに見せてくるのだ。
普段は愛情溢れる彼女の、不可解で急激な変化は、わたしの心身をがんじがらめにして、文字通り息が止まるのだ。
踵を付けてしゃがめない。じっとりと纏わりつく綿密な気。動物・植物分け隔てなく命を大切にして、何もかも捨てない。こういう人を10種体癖というのだろうか、、、ぜひとも背骨を観察させてもらいたいお方です。
彼女の言動によってわたしの脈拍は上がり、神経過敏となって息が止まる。
…呼吸の間隙をショックするって、こんなに長い吸いと吐きの間の時間の、どの一瞬を捉えたらいいのだろう…今ならすごい良い稽古ができる気がする、なんて、泣きながらも呼吸を観察したり腎臓や肝臓に手当てしてみたり。
隣で休んでいる旦那さんは寝惚けながらも、泣いてる私を宥めようとしてくれたのか、自分のせいだと思ったのか、「〇〇(わたしの名前)、ごめんね」なんて寝言したり、局所的カオスが発生してしまうのだ。
人間のやってることなんてあれもこれも活元運動。
そう思うと、意識的に自分のエネルギーを調整することは必要不可欠で、野口先生がおっしゃるように「活元運動は身嗜み」だと改めて思う。
余波を受けてしまって乱れた時は大好きな行気だって出来なくなってしまうから、出すもの出して、心を込めて手を当てて、嵐が落ち着くのを待つ。これも経過だと思えば、どんな変動でも待てる。
そんな中で、わたしが出来ることは。
ニガテな彼女は、わたしに色んなことを教えてくれる。はぁ。
4日目
活元運動と卵巣行気
長い変動を凡そ終えて、ようやく季節に沿って変化する身体を感じ取れるようになってきた。
時間の経過は年を取るということ。
浦島太郎が龍宮城から現世に戻った後の心地は、どんなものだっただろうか。
このひと月は残業で帰宅が夜中になってしまう日が続いた。
食欲は増えたけれど睡眠はかえって短くて良く、月経中も骨盤が開ききっていない感じが残っていた。目の疲れもあり、緊箍児が締まるような頭痛。
帰宅するとホッとして弛み落ち着くというのが3日目まで続く。
とにかく体力ギリギリまで、落ち寝するまで、動き続け、お昼寝というものはなかなか出来ない質なので、動いてるか倒れてるかだ。
月経期間は例外で眠り姫になるはずが、今回はいつもとは違うよう。要経過観察。
活元運動は出来ない(=したくない)という気分のまま。
こういう時は鈍りながらも纏まっていて、それを崩したくないという気持ちのことが多い。
それでも昨日はようやく活元運動をして、ギンギンに目が冷めてしまった後、卵巣行気。希薄な行気しか出来ない中でも、左の足指はお遊び稽古の慣れもあり可動性があって、繋がりやすい。
モゾモゾとしていたはずが、気付くと5日目になっていた。またいつの間にか朝がきてしまった。
少し違った試みを
特に宣言する必要もないのかもしれないけれど、このブログに書き綴る内容を、より具体性をもたせたものに変えてみようと思います。
思考整理と表現の練習をしてみます。
表現下手なわたしと、わたしの整体生活を興味深く応援してくれる友のために。